株式会社ダイフレックス

ダイフレックス開発秘話

飛躍の時 ~ダイフレックス~

三浦は、ウレタンの将来性に着目し、大和高分子工業が厳しい苦境であった時期においても少量ながらウレタン防水材の試験的な生産を続けていた。
やがて、ウレタン樹脂にコールタールを配合したまったく新しい防水材が誕生したのである。
新製品を持って東京中の防水業者や建材商を軒並み当たり、優れた性能を紹介して回った。
ところがようやく採用されて施工してみると、雨が漏るというクレームが各所から舞い込んでくる始末であった。この原因はタールウレタンの老化性にあることが分かった。
屋上などに施工された場合、太陽熱に過熱されるとボロボロになってしまうのだ。
どうやらタールに問題があるらしい。
偶然その時機、三井東庄化学から声がかかった。売り出して間もない防水材原料のハイブレン(商品名)を使ってみないかという誘いであった。
この取引が幸運をもたらしたのである。

昭和44年3月、三井東庄化学からの技術的な助言もあって、大和高分子工業はノン・タールウレタン防水材の開発に成功した。日本初の快挙である。
ポリウレタン樹脂を基調とする新製品「ダイフレックス」は防水材、シーリング材、緩衝材として優れた効果を発揮し、漏水などのクレームはピタリと止んだ。
これを機に大和高分子工業は特殊塗料、接着材などの総合メーカーへの道を歩み始めたのである。

この記念すべき飛躍の製品「ダイフレックス」の名称は、後に社名にも使われることとなる。

目覚めの時 ~再スタート~

苦境に陥った大和高分子工業がいよいよリスタートする時が来た。
昭和42年の春まだ浅い日のことである。
かねて大和インキ(三浦の父親の会社)が顔料などを買い入れていた大日精化工業から業務提携の話が持ち込まれたのだ。
大日精化工業のエポキシ部門と大和高分子工業のそれとを合併し、その後の事業を継承してほしいとの申し入れであった。大日精化工業からは役員と応分の資本を投入するという。

この話を応諾することに腹を決めた三浦が、まずクリアしなければならなかったのは、父をはじめとする社員たちの承諾を得ることであった。
社内は、思わしからぬ経営状態、そして経営主宰者である父が病床にあることで苦境に置かれていたこともあり、反対多数であったが、三浦は諦めなかった。
失敗を恐れぬわけではないが、大和高分子工業にとって再起のチャンスである。
断念するわけにはいかない。
三浦は、自分の胸中を吐露し、根気良く信念を訴え続けた。
そうした三浦の熱意はしだいに社内に浸透していった。
社内全員の納得を取り付けた三浦は、いよいよ大日精化工業との提携に踏み切ったのである。時に昭和42年5月のことであった。

苦境の時代

昭和40年初頭、大和高分子工業に大きな仕事が舞い込んだ。
大成建設施工の銀座ソニービルの大石柱(約30本)に使用する人工大理石の化粧板製造である。かねてからエポキシ樹脂の硬さに着目し、人工大理石の研究を続けてどうやら完成の域に達した矢先の願ってもない受注であった。
この大型受注に対応すべく、生産設備の拡充が急ピッチで行われた。
なんとか稼動にまで漕ぎつけたが、納期が迫っている。
なんとか間に合わせるために製品づくりは昼夜を問わず続けられた。
その甲斐あって、直径1m程もある支柱に2枚の人工大理石を化粧板として装着する作業も順調に進み、寸分の誤差もなくきれいな仕上がりとなった。
だが、「まずは良し」と安堵の胸を撫でおろしたのも束の間、せっかくきれいに仕上がった化粧板が収縮をはじめたのだ。思ってもみぬアクシデントである。
この失敗は、生産の過程で収縮することを読み取れなかったところに原因があった。
多大な迷惑をかけてしまったにも関わらず、大成建設が、納品できないという大きな失敗に激怒しつつも寛大な態度で応じてくれたことが救いであった。
結局、この工事では1500万円ほどの損失をこうむった。
発足間もない大和高分子工業にとっては大痛事であったことは言うまでも無い。
高額な損失額、そして人工大理石に託していた夢を失った大和高分子工業はどん底の状態に陥ってしまった。

誕生!大和高分子工業

ダイフレックスの前身、大和高分子工業の創業は昭和39年4月のことである。
三浦慶政・(以下、三浦という)は、日暮里の印刷インキメーカーである父親の跡を継ぐつもりであったが、大きなインキ業界の中で大成することは至難の業である。血気盛んな24歳の三浦は、「大きな池の小さなカエル」に甘んじることが出来なかった。三浦は、学生時代にのめり込んでいた企業経営に対する興味、そして建築分野への憧れなどに後押しされ、「業界No.1」「小さな池の大きなカエルになる」という決意のもとに、この大和高分子工業を設立したのである。
時は高度経済成長の真っ只中。幸運なことに、学生時代に広げたネットワークは建築業界の若きエンジニアたちであった。
その中の一人、長谷川工務店に勤務していた学友の桐山からヒントを得た三浦は、エポキシ樹脂による防水資材の製造を手掛けた。
エポキシ樹脂は、接着力、耐薬品性に優れ、電気絶縁性も良い。
使途によってはたいへん便利な合成樹脂である。そして、印刷インキの製造設備でほとんどの生産が可能なため、設備投資が不要であることも好都合であった。
当初、大和高分子工業では、このエポキシ樹脂をコンクリートのヒビ割れ補修、あるいは地下室、屋上、床などもろもろの防水材として製造を開始した。
記念すべき最初の工事受注はメッキ排水のフロアーづくりであった。
そして、次に受注したのは神田駿河台下の地下駐車場のフロアーと地下防水工事。
この二つの工事は、エポキシ樹脂専門の施工業者・豊工業が施工した。

ダイフレックスの成り立ちを書くことについて

ダイフレックス・・・ウレタン防水材の黎明期から材料・工法の開発に尽力してきた会社である。
これより、創設者 三浦慶政を中心として七転び八起きしつつ成長してきたダイフレックスの現在に至るまでを紹介していこうと思う。

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