安心の追求:その1 『In Taiwan』

1968年のメキシコオリンピックで正式にポリウレタン系のトラックが採用され、以後多くの陸上競技場でポリウレタン系のトラックが使われている。
東京オリンピック開催当時(1964年)の国立競技場は、アンツーカー舗装(レンガを粉砕したようなもの)が採用されていた。
アンツーカー舗装は、国民体育大会の会場などにも採用され昭和50年頃までが全盛時代であったが、ポリウレタンを使用した全天候トラックが登場したことにより少なくなってきた。アンツーカー舗装が水分が多くなり過ぎると軟弱になったり、乾燥するとほこりが立つなどの短所があったことに比べ、ポリウレタンは水分によって軟弱になることも、ほこりが立つこともない。また、ポリウレタンのトラックは記録が出やすく、また維持管理がしやすく、常に一定のコンディションを保つことができるので現在も数多く採用されている。
当初、アンツーカーの名残か、ポリウレタンのトラックの色はレンガ色が多かったが、最近ではブルーなどの明るい色のものが出てきた。ダイフレックスでも台湾で陸上競技場のポリウレタン舗装を3ヶ所手掛けている。ダイフレックスのニューファインコートカタログを初めて見た人はなんとなく違和感を覚えてしまうだろう。スポーツ業界ではまだマイナーだったダイフレックスが台湾の国家的プロジェクトを受注できたのは、三浦会長の大和インキ時代からの人脈の賜物なのである。
その当時、台湾国内では施工のノウハウがなかったため、ダイフレックスの技術スタッフが現地に出向き、現地スタッフを指導して施工した。
当時はまだ一般人が気軽に海外旅行を楽しめる時代ではなく、台湾人は「日本人は文明の進んだ国から来た大切なお客様」というイメージを持っていたようである。
そのため、かなり手厚くもてなされ、言葉の壁で苦労しつつも楽しい思いをしたと語り継がれている。
また、海外における施工例としては、イラクのバスラでフルウレタンのテニスコートを施工した実績もある。このときは、日本から持ち込んだ希釈剤(シンナー)が使用時には消失していたというハプニングがあった。川辺の塩岩の上に希釈剤の缶を置いていたために、塩岩の塩分で缶が錆び、穴が開いてしまったのである。予想外の事態であった。
が、しかし、ダイフレックスの熟練の技術により、このピンチを乗り切ったのである。
ソウルオリンピック(1988年)の前には、フルウレタンのテニスコートの施工指導を行った。
このときには、スクイジー(防水材施工用コテ)持参で韓国に入国しようとした某人が入国審査で引っかかってしまったという逸話がある。
このように、ダイフレックスは防水材・床材のみならず、スポーツ施設舗装でもアジアのトップを走っていたのである。
実はずいぶん前から、アジアでトップの『コンストラクションケミカル・カンパニー』だったのかもしれない・・・

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